ポケスペSV編第7話を読んで(イチバン24年4月号)

ネタバレ注意!

この記事には執筆時点(24/02/28)での、コミックス通巻版および、先行版未収録の内容を含みます。

 

レッティ、すごい目をする

 

ポケットモンスターSPECIALスカーレット・バイオレット編第7話の感想です。今話では、物語の前半後半でそれぞれにいいなあと思ったことがありました。

 

順番は前後しますが、まずは後半の王子とペパーのヌシポケモン戦について。広いエリアをあっちに行ったりこっちに行ったりするのが、野生の強〜いポケモンとやりあうって感じでとても良かったです。ミライドンが一緒にいなかったら…追っかけるのなんて絶対ムリ!

 

私はゲームで(ほぼ)ライドなしという縛りプレイを一度したのですが、街から街への移動や、スター大作戦ならまだしも、ヌシポケモン戦が本当に困難を極めました。特に、潜鋼のヌシ戦はライドなしだとヌシに追いつくことすらできない…。そんなことを思い出しました。

 

そして、もうひとつの面白かったのは前半部分の、レッティ(スカーレット・コイト)とネモの次の目的地へ向かう前のやりとり。ページ数にしてわずか1ページの、そして軽妙なテンポのシーンですが、私はやたらとここが印象的でしたね〜。

 

バトルをちらつかせたネモを、にらみつけるレッティ。こ、こわい。彼女のこの表情、ご覧になったみなさまはどのように感じられたでしょうか。

 

レッティ、ネモが勝手に着いてくるのはいいけど、それはダメなのね。言葉を使わずとも、視線だけで怒!って感じ。むしろ、言葉ではないから強烈だという。

 

…と、書いていてふと思いましたが、いずれ彼女がベイクジムに挑戦することになったら、件のあのテストが待っているはずで、一体どうなるのでしょう。意外と…というか、あんな表情ができるレッティなら、かえって上手くいきそうな気もします。

 

さて、私はレッティのあの表情を怒!と書きましたが、当事者のネモがどう感じたのかは…ともかく、レッティが拒否してるっぽいのが伝わったのか、ちゃんと退いてくれました。

 

私、これがネモのいいところだと思うんです。ちょっと(かなりかも?)暴走しがちなネモですが、相手の気持ちに鈍感というわけではないですよね。レッティにポケモンリーグへの興味を持ってもらうことを諦めたわけではなさそうだけど、下がるべきだと思ったら下がってくれるという。

 

そんなこのシーンが象徴的だと思うのですが、レッティとネモの現状のなんとな〜くうまくいってるかも、な関係がとっても面白いです。

 

前話の第6話では"わたしにかまうな"という台詞でもって余裕のなさを、今話ではここまで話題にしてきたあの表情でもって不愉快な気持ちを、それぞれに端的に表していたと思うのだけれど、それはネモ同様に、レッティもまた機微に聡いからでしょう。ネモといると、レッティのそういう一面がなぜか出てくる。それはネモにとっても同じで、このふたりが今後どうなっていくのか、そしてついに王子やペパーが…!楽しみです。

 

…ところで実はもうひとり、レッティのそんな機微を引き出した人物が作中に出ていますが、それが誰なのかはぜひ先行版を読んで確認してみましょ。私はとっっってもそのシーンの印象が雑誌掲載の時とは変わりましたね〜。すごかったです、書き足しのところ。

 

↓前話感想はこちら

yomaon.hatenablog.com

 

 

 

ポケスペSV編第2話を読んで(イチバン23年11月号)

ネタバレ注意!

この記事には執筆時点(23/9/21)での、コミックス通巻版および、先行版未収録の内容を含みます。

スピード王子だけあって(?)、展開もハイテンポです

続きを読む

【ポケスペ】私はなぜこんなにもしーちゃんが好きなのか

ネタバレ注意!

この記事には執筆時点(23/7/23)での、コミックス通巻版および、先行版未収録の内容を含みます。

しーちゃん、大好き! ポケスペ剣盾編も完結して日が経ったことだし、今章の主人公のひとりであるしーちゃんこと、盾シルドミリアについて書こうと思う。

 

私はしーちゃんのことが大好きです。なので今回の見出しは、その気持ちを表現するためにマゼンタ色です。

 

しーちゃんはとても可愛い。表情がころころ変わって、それを追いかけるのがたまらなく楽しい。

 

そして、その明るさに嫌味なところがないのが素敵です。例えば、マナブくんがウオのんと出会ったことで見せた変化には、素直に驚いて自分も楽しそう。可愛い。

 

でも、理不尽なことやイヤなことには、しっかり怒る。例えば、エール団が邪魔しに来たらずばっと言い返す。その返し方も的を射てて笑える。

 

それよりも、もっともっとしーちゃんが怒っていたことがありますね。手持ちポケモンたちと離れ離れになったことに対してです。連れ去られた理不尽に怒り、離れ離れになったポケモンたちのことを心配する。メガとギガが解放された時、真っ先にしーちゃんの顔を思い浮かべたのも、彼女に対する信頼のほどが伝わります。感情をあんなに表に出す人だから、ポケモンたちも一緒にいたいよね。

 

それだけに、32話(6巻)でのそーちゃん(剣創人)との会話は私にとって、もー、すさまじく衝撃的で、この場面こそが、彼女のことを決定的に好きになったシーンでした。

 

「伝えるべきだった」の衝撃 このやりとりの何がすごいかって、身具に没頭するとそれ以外のことがぼやけてしまうという、自分の性分のせいで事態の悪化を招いたと自責するそーちゃんに対して、「大事な友だちなんだったら、いいと思ったこともイヤだと思ったことも、ちゃんと伝えるべきだった」「だからあたしだってごめん」としーちゃんが返したことです。

 

この台詞は私にとって2つの意味で衝撃があって、1つは「ごめん」の中身について。

 

彼女が何に対して「ごめん」と謝ったかというと、特に身具にまつわるそーちゃんの行動に思ったことや感じたことがあったのに、それを伝えることをしなかった、ということでした。たとえイヤな顔をされたとしても言うべきだった、だからごめんというわけです。

 

しーちゃんのこの言葉は、そーちゃんの、身具のこととなるとそれ以外のことがぼやけてしまうという台詞に対して語られたことを考えると、この言葉が持っている意味は、ごめんにごめんで返したからといってその場のとりなしでもなく、ましてや傷の舐め合いでもないことは明らかで、もっと前向きで、懐の深さが現れていると私は思います(そしてそれはポケスペ剣盾編のテーマにも繋がる)。

 

具体的にどうすごいのかを説明するために、もう1つの衝撃があった点について触れましょう。それが何かというと、(そーちゃんの人となりを知っていたけど)いいと思ったこともイヤだと思ったことも伝えなかった、というしーちゃんの言葉そのものです。

 

その台詞のコマでマナブくんが驚いているように、私もめっちゃくちゃ驚きました。この記事の最初に書いたような、明るい姿と矛盾するから?それは完全にノー。

 

とはいえ、一緒に冒険してきた彼が驚くぐらいだし、周りの人にもそんな素振りは見せなかったのでしょう。だからといって突然に出てきた言葉だとはまったく思いません。むしろ、私の思っていたしーちゃんそのままの姿だったから、とてつもなく驚いたのです。

 

もちろん、しーちゃんがどうして伝えなかったのかは、やはり彼女の言葉からだけだと分からないですし、その時の状況にも拠ったことでしょう。また、言わなくたって雰囲気や仕草で相手に伝わることだってあるはずです。

 

だから私が気になっているのは、どうして彼女はあのやりとりの中で「伝えるべきだった」と言えたのか、というところなのです。ま、これこそ想像による部分が大きくなるのだけれど。

 

瞳のハイライトが消える? 実は正直なところ、私がしーちゃんに強く興味を惹かれたきっかけは、瞳のハイライトが消えて、ポケモンに関する知識が思い出せなくなる姿を見た時でした。これは、何かの傷の表現なのでは?と思ったのです。

 

まどろみの森で手持ちのポケモンたちとはぐれてしまったことがそのきっかけだと分かるのは、物語を読み進めていけばそう時間はかかりませんね。ただ、そんなしーちゃんの気持ちを慮るマナブくんに対しても、彼女は前向きに振る舞っています。無理をして明るく振る舞っているようにも見えませんでした。

 

だからこれは、意識していない部分での傷だと思いました。手持ちたちと離れ離れになった悲しさや不安を、無意識のどこかに隠してしまったのではないかと。もしくは、その出来事がきっかけで、もともと持っていた無意識下の傷が出てきたのでは、とか。瞳が真っ黒になって、ひどい時は倒れるまであったのは、悲しさや不安を受け止めることが難しく、心理的なブレーキが働いたからではと思ったのです。

 

こう書くと、18話でのそーちゃんの、「手持ちたちのことを忘れないために、他のポケモンの知識のひきだしに鍵をかけていた」という考えとは、ぜんぜん違うじゃないか、と思われるかもしれません。

 

なお、当然のことですが、私は読者なので突っ込んだことが書けるわけで、物語の登場人物である彼らがもしも似たようなことを思っていたとしても、あの場で当事者であるしーちゃんに言えないかもしれないことは承知しています。

 

それでも、あの表情やたどたどしくなる喋り方を見れば、普通の状態ではないと思うのです。それを心理的なブレーキと表現するのは、やはりあの時のしーちゃんには、受け止め難い何かがあったからではないかという私の考えゆえです。

 

そーちゃんが一緒に居てくれた幸運 ただ(もちろん私は私で根拠を持って書いているつもりだけれど)、しーちゃんが私の書くような形で無意識に傷ついているかどうかは、作中の描写からははっきりと「そうだ」とは言えないと思われることでしょう。これが先ほど書いた想像による部分が大きいということで、私の読み込み過ぎと言われたらそれまでのことではあるのだけれど。

 

ただ、それでも言えそうなこととして、しーちゃんの普通でない様子は、シーソーコンビのニダンギルにペロペロ(攻撃)されたことがきっかけで起きたこととはいえ、あの時の彼女だからあのような症状が起きたのではないか、とは言えるでしょう。同じくペロペロされたそーちゃんには、そのような症状が起きていませんから。

 

ニダンギルは人の生気を吸い取るポケモンだと説明されていること*1や、シーソーコンビの台詞から考える限りでは、ニダンギルにできるのは生気を吸い取って出来事を忘れさせることで、その結果として何が起きるかは、ペロペロされた人によるのではないのでしょうか。

 

とはいえ、意識を失うのがそーちゃんより遅かったぶん、より多くペロペロされたのではとか、まだまだニダンギルに原因を探すこともできるかもしれません。ですが、あの時あの場所、つまり、そーちゃんとまどろみの森で初めて出会ったしーちゃんに起きた出来事の結果として、瞳のハイライトが消える、あの普通でない姿のことを考えたいのです。

 

もちろんシーソーコンビから受けた仕打ちは、それ自体が理不尽なことです。念入りに強調しておきたいけど、それは絶対にそう。ですがその一方で、手持ちたちとはぐれて不安だったに違いないしーちゃんと、そーちゃんは一緒に居てくれました。これは本当に幸運なことだったと思います。

 

悲しい時や不安な時に、その気持ちを聞いてくれる相手がいてくれたなら、どれだけ救われることでしょう。というより、言葉にできなかったとしても一緒に居てくれることそのものが、すでに気持ちを受け止めてくれていることかもしれません。

 

離れ離れになった手持ちたちを探す手伝いをしてくれたこともそうですが、やはりあの場でそーちゃんが一緒に居てくれたことがしーちゃんにとって、きっと手持ちのみんなに再会できると希望を持てるほどに、大きかったのではないかなあと思うのです。だから、攻撃を受けたことそのものは、強く引きずらずに済んだのではないでしょうか。

 

悲しめないことが悲しいこと むしろ、心理的な傷になり得るのは、悲しいことを悲しいと感じられないこと、でしょう。これは別に辛いことに限らず、楽しいことや嬉しいことであっても同じことで、感じたことをそのままに感じられないことこそが、悲しいことなのだと思います。

 

もちろん、これはどのように感じるのが正しい、という話ではありませんが、理不尽な目にあった時に怒ってはいけないとか、怒るのなんておかしい、なんて言われたら、その怒りはどこにいけばいいんですか。これはだいぶあからさまに書いてますが、実際はもう少しは巧妙に隠されていますよね。男が泣くのはみっともない、とか(もはや化石のような例えであってほしいけれど)。

 

出来事に対してどう感じるかというのは、みなさまがそれぞれにそれぞれの仕方で生きているのですから、ご自身の気持ちに正直になっていただくしかありませんけれども、やっぱりお前はおかしいとか、だめだとか言われるのは惨めな気持ちになるよ。

 

…とはいえこの「ご自身」というのも、人種とか性別とか、社会的な立場といったカテゴリーが容易に代入されてしまうのですが、これ以上の説明を試みるとそれが本題になってしまうので、割愛します。なお、私のこのあたりの話はアリス・ミラーやエーリッヒ・フロムの影響が強いです。

 

感じることを禁止されたり、抑圧された悲しさや惨めさ、恨みや怒りは、それが晴らされたり癒されない限り、いつしか「間違った」現実を変えようとするでしょう。その現実とは他者であることもあれば、自分であることもあります。

 

この他者に向いた例が、シーソーコンビだと思います。やっぱりね、先祖代々の悲願、なんてものを抱えさせられる環境は、まともなわけないですよ。彼らの認識は現実と繋がりを失っているがゆえに、そらとぶタクシー撃墜なんてできてしまうわけで、他人の命すら意識から消し飛んでしまっています。

 

コミカルに描かれている分、彼らの主張は「あはは、とんでもないこと言ってるなあ」と笑えるけれど、その行動はとても示唆的です。ゆえに、主人公と対照的という意味においては、彼らが今章の敵役といえるのではないでしょうか。

 

まとめるなら、自分の感覚や感情を感じられなかったことー禁止されたり、抑圧されたりーこそが傷であり、その傷は自分や他者に様々な形で表現されうる、となりますが、さて。

 

結局のところ、傷なのか 果たして、しーちゃんにこれを当てはめて考えてもいいのでしょうか?瞳のハイライトが消えるあの姿は、やはり何らかの傷の表現、この場合は自分に向かったものだと言えるのでしょうか。

 

さもここまでその通り、というように書いておきながら、そうだと言い切れない私がいます。なぜなら、やはり私の想像によるところが大きいから。

 

ここまで話にいくらかでも納得がいっていた方なら、39話でのホップとの会話を思い出していることでしょう。私も念頭にあるのはその場面で、そこで語られたことが幼い頃の、もしくは今のしーちゃんにとってもなお、大きい出来事であったのだろうと思います。それだけに、そーちゃんのしてくれた振る舞いに、大きな影響を受けたことも。

 

どのような場面や調子で、しーちゃんが「みっともない」と言われたのかは、彼女の言葉からだけでは分からないし、あのようにホップに語れたことだって、人に言える形があのようなものだったとしか言えない…って書くと、分からない分からないばっかりでつまらないかしらん。

 

ですが、それでもひとつ。彼女の言ったことから少し想像を膨らませて、友達になれそうだった子と遊ぼうという時に、やっぱりやめたと言われたとしましょうか。その子だって事情がおありのことでしょう、見たいテレビがあったのかもしれませんし、ただなんとなく遊ぶ気分ではなかったのかもしれませんし、あるいはたまたま、声の大きな子が苦手だったのかもしれません。

 

相手が遊ばないといった理由は、大した理由じゃないのかもしれない。ですが、その時に「相手が遊ばないと言ったのは、自分がみっともない子だから」と自分で受け入れてしまうことが、しんどいことなのではないかい。

 

ま、結局のところ想像するしかないわけだし、その上で私はすべてが地続きだと思います。幼い頃にかけられた言葉も、瞳のハイライトが消えて、ポケモンに関する知識が思い出せなくなる様子も。改めてですが、この姿は心理的なブレーキで、強いて言うなら古傷が開いた、ですが。

 

そして何よりも、そーちゃんに対して「伝えるべきだった、ごめん」という言葉も、繋がっているからこそ出てきた言葉だと思うのです。ま、いろいろ書いてきて今更ですが、私はしーちゃんが傷ついているかどうかを知りたいわけではないのです。だって、傷ついたことのない人なんて、どこにもいないでしょ。

 

ずいぶん上のほうで書いたのでお忘れかもしれませんが、私が書きたいのは、しーちゃんがそーちゃんに「伝えるべきだった、だからあたしだってごめん」と言えたことのすごさについてなのです。その背景にあるものが私の想像と違っていたって、この言葉の持っているいいところは何一つ変わりませんから。というわけで、これが最後のテーマです。

 

もう一度、やりとりを振り返る あのタイトルと書き出しからこんなものを読まされるなんて、だまされた!とさぞやお思いのことでしょうが、最後はちゃんといい感じに〆るので安心してほしい。

 

今一度、32話でのしーちゃんとそーちゃんのやりとりについて触れましょう。

 

身具に没頭するとそれ以外のことがぼやけてしまうという、自分の性分のせいで事態の悪化を招いたと自責するそーちゃんに対して、「大事な友だちなんだったら、いいと思ったこともイヤだと思ったことも、ちゃんと伝えるべきだった」「だからあたしだってごめん」としーちゃんは返しました。

 

しーちゃんがまずここで言おうとしているのは、そーちゃんのしてきたことは、誰かを抑圧したりするものではなく、ちゃんと現実とつながっていたよ、ということだと思うのです。

 

そーちゃんは身具以外のことが目に入らなくなると言うけれど、力を借りたり、助けられた人やポケモンたちがいます。それは良いことをしたから良い、というものではなく、ちゃんと相手と関係を結べていたということでしょう。もちろん、偶然に上手くいったこともあったでしょうけど。

 

まあ、物事の裏表と言いますか、そーちゃんは行く先々で無意識に人をイラつかせたりします。でも私には、そこに相手を思い通りにしてやろうとか、抑圧的な振る舞いがあるようには見えません。

 

…なんか良いことばっかり書いているけど、私の好みやクセでこうなっているだけで、別にそーちゃんが成人君子だとか、欠点のない人物だとか言いたいのではないです。

 

伝えたいっ! 話を戻しましょう。「身具以外のことがぼやけてしまう」と言ったそーちゃんに、しーちゃんが「困っている人やポケモンたちを助けてきた」と返した言葉が、良いこともしてきたからやらかしもチャラ、という意味でないことは、「やだなあと思ったこともあった」と続けたことからも明らかです。次の台詞と合わせて見ると、彼女の感覚の鋭さが表れてきます。

 

ちょっとここだけは引用させてもらおう。その次に彼女が言ったのは、"でもそれを伝えないんだもん、なにがよくてなにがダメなことかもわかんないよね*2"でした。これだけ聞くと、「これはOK、これはダメ」のような、行動に対する正解不正解の話に見えるかもしれませんが、そうではなくて、感じたこととの繋がりが切れた振る舞いは危ない、ということだと思います。

 

なぜその振る舞いが危ないのかというと、その果てには、怒りや恨みといった、人と人との関係を壊しかねないものを生み出してしまうから、というのはこれまでに書いてきた通りです。しーちゃんがそこまで意識しているかは分からないけれど、私は台詞に十分含まれていると思います。シーソーコンビが対照的と書いたのは、これが理由ですね。

 

関係を破綻させかねないものを察知して、それを遠ざけようとする。「たとえイヤな顔されたとしても、伝えるべきだった」というのは、耳に痛いことでも正直に言う、ということではなくて(それもないとは言わないけど)、あなたとの関係に、危ういものは持ち込まないよ、という気持ちの表れだと思うのです。そう考えると「ごめん」というのは、その危うさを持ち込みかけていた、ということですかね。

 

ま、人間いい加減なもので、「目は口ほどにものを言う」なんて言葉があるように、言葉にしなくたって伝わるものは伝わってしまうし、挙句どのように伝えても、自分と同じように伝わることなんかないわけで。

 

それに「いつでも」伝えることが正しい、なんてことはないですもんね。言えない時や言いたくない時にはそれ相応の事情があるはずで、言いたくない気持ちを無視して、言ったり言わされたりすることが良くないよね…と、この辺は一応言っておかないといけないかなと思ったのでぐだぐだと書きましたが、それはさておき。

 

そーちゃんがしーちゃんに悪いところはない、と困惑するのは無理もなくて、実際にしーちゃんがそうだったのか、は彼が自分で納得すればいいことですし。しーちゃんが言いたかったのは、あなたとちゃんと向き合いたい、という気持ちで、(マスタード師匠のひとこともあり)だからそーちゃんは、「ありがとう」と返したのだと思います。

 

作者のひとりである山本サトシ先生によると*3ポケスペ剣盾編のテーマは「居場所」、言い換えれば「受け入れてくれる場所」だったそうです。なんかこう書くと付け足すようでおこがましいですが、私は居場所と呼べるものはどこかに具体的に存在するのではなく、人と人との関係のあいだにしかないよね、と思います。

 

あ、失念。必ずしも人とではなくて、ポケモンとでもその関係は結べるよね。

 

それが人であれポケモンであれ、もしくはそれ以外の何であれ、あなたとわたしの間にしか居場所は生まれないのだから、関係を破綻させるものは拒否しなければならないし、それをやってのけたしーちゃんのことが、私は大好きなのです。ほんとうにすごい。

 

 

 

…ちゃんとどうして大好きかが言えたので、これでヨシ!と、ここで終わっても綺麗だとは思いますが、最後にあとひとつだけ。

 

終わり:冒険の果てに どうしてしーちゃんは、あれほどの、素敵で肯定的なことを言えたのか?と、投げかけてはみましたが、これは彼女本人が言う通り、かつてそーちゃんが自分にそうしてくれたからでしょう。彼女がそーちゃんにかけた言葉は、あなたとちゃんと向き合うよ、という、かつて自分がしてもらって嬉しかったことを返したのだと思います。

 

しーちゃんとそーちゃんが出会ったのは第1話(1巻)より前の時間軸のこと、そこから様々な経験をして、ヨロイ島でのあの台詞に繋がっていきました。そうやってしーちゃんの冒険を考えると、あの時そーちゃんにもらった優しさを、自分なりの優しさにしていった旅だったのかもね。

 

そもそも、しーちゃんの優しさというか、懐の深さのようなものは物語の序盤から出ていました。3話(1巻)のマナブくんがメッソン(ナミダくん)を手持ちにする場面での、「お互いがいいならいいんじゃない」とか*4、20話(4巻)の、「メロンとバリコオル(ステッキン)のハッピー」の話とか。

 

その一方で、悪意や(古)傷に直面する旅でもありました。って、もう傷って言い切っちゃったけど、これはあくまで私の想像に大きく基づく見解です。くれぐれも注意してね。

 

物語が進むにつれ、瞳のハイライトが消えるあの姿になることは少なくなり、まどろみの森での記憶を取り戻した後は、もうその状態になることはなくなりましたが、私にはやはり、手持ちたちと離れ離れになったことが、古傷を開いたのだと思えてなりません。さあどうだろね。やっぱり読み込み過ぎかな?

 

とはいえ、もしこの考えが正しくて、それがほんとうに傷だったとしても、彼女にとってどのような傷なのかは(想像はできても)分からないし、分からなくてもいいのです。私が書きたいのは、そこではありませんから。

 

これまで十分書いてきたので、しーちゃんがそーちゃんにかけた言葉のすごさ、優しさについてはもう繰り返しませんが、彼女が説得力を持って言えたのは、そこに実感があったからだと思います。それはかつて受けた痛みかもしれませんし、もしくはもらった嬉しさかもしれません。というか、いろいろと混ざり合っているものでしょうけど、そのごちゃごちゃをポジティブなものに昇華したことがもうね、素晴らしい冒険だったなあと言いたいのです。

 

ただし、ここからが最高に面白いところで、このやりとりを経たしーちゃんとそーちゃんの2人の関係は、決してお行儀のよかったり、何かラベルを貼れるような関係になるのではなく、よく一緒にいたホップでさえドン引きするような、当人たちにしか理解できない領域に突入します。この関係を「受け入れてくれる場所」というなら、そこに現れたのは人間の訳はわからないが、しかしパワフルな面でした。

 

人間は思い通りになんてならないよ、と怒っているのか笑っているのかも分からないが、私はその痛快さに笑ってしまった。というわけで、やはりポケスペは人間賛歌なのである。<了>

 

 

 

*1:面白いこと(?)に、これはニダンギルではなく進化前のヒトツキの図鑑説明(シールド版)である。シーソーコンビは進化前から育てたのかな?ただ、マグノリア博士も言及しているので、ヒトツキ系列の特徴として捉えられているのかもしれない。

*2:6巻p.27

*3:2023/06/23のツイート

*4:そういえば、18話(3巻)でそーちゃんもマナブくんとウオのんに同じこと言ってる!

ポケスペ剣盾編の最終話を読んで

コロコロイチバンの先月号(7月号)発売日の前に、こんなツイートをした。

 コミックス収録話数から逆算すれば、連載の区切りがどこにあるかはなんとなく推測できます。だから、この先の8月号が区切りになるのは予想がついていたけれど、まさか最終話とは思わなかったのが本音でした。当然のように8巻までいくと思っていたので、上記のようなツイートをして、「あ〜、だまされた〜」とやりたかった。この手の冗談の解説をしても仕方がないけれど、最後の顔文字に「ほんとは続くんでしょ(知ってる!)」という、私のしょうもないプライドが見え隠れしている。懺悔。

 

続きを読む